神戸ことはじまり

元町商店街のアーケードを東に通り抜け、スクランブル交差点を真っ直ぐ渡り、そのまま旧居留地の一番北にある道を歩きます。個性的でお洒落ななお店が軒を連ねる道を少し進むと右手に赤い建物が見えます。その中を窓ガラス越しに覗けば、味わい深いアンティークなテーブル・椅子、そしてその横には「1872年創業 永田良介商店」と書かれた木版があります。こちらの、“永田良介商店”は、明治5年(1872年)に創業され、日本で最初に洋家具を作った洋家具店の一つと言われています。



現在では“神戸家具”とまで呼ばれる程、価値が高められた家具を138年間、神戸の地で作り続け、多くの家具職人を輩出し、今も尚、その家具作りにかける伝統と技術と意志を受け継ぐ“永田良介商店”の5代目社長でいらっしゃいます永田耕一様にお話を伺いました。


洋家具作りのきっかけは、旧居留地に住む外国人相手の便利屋だった!?


明治5年、英国商館で働いていた創業者の永田良介氏は西洋の文化が溢れる神戸で、旧居留地の外国人を相手に家具の修理や引き取りを行うなどの道具屋、つまり便利屋として商いを始めました。

当然の様に“畳に卓袱台”が中心だった日本の生活様式には無かった椅子やテーブルでしたが、日本の役所や会社を中心に、西洋家具の必要性は文明開化の勢いと共に日々高まっていました。

そして、神戸の港にいた船大工を中心に“見様見真似”で家具づくりの技術を習得した家具職人たちが洋家具商としての業務を確立させました。

永田良介商店では、神戸港に着く外国船の調度品の修理なども頼まれるようになり、洋家具のリフォームとリセールを扱う中で、日本で最初となる洋家具製作手法の技術を培って行きました。

この様に、神戸での洋家具のはじまりは、政府の洋風化政策などでは無く、港町であるからこそ生まれた実用的な需要から起ったとのことでした。


神戸独特の地域性の中で育った神戸家具職人が、全国
に洋家具の技術を広めた。


洋家具の需要が生まれ始めたのは、幕末の開港当時。箱館、神奈川、新潟、兵庫、長崎で洋家具の製造が開始されましたが、大都市に近い“神奈川”と“兵庫”で特に洋家具の産業が成立しました。神奈川は東京に向けて洋家具を販売するため、巨大工場を持つ企業が出現しましたが、神戸には一つ一つ手作りの家具を作る職人が集まっていました。

その理由を永田社長は次の様に話します。
「関西では『大阪は大阪や、京都は京都や、それで神戸は神戸や。』という地域で根を張る空気があったからじゃないですか。」

東京の様に大量消費に対応するための“大量生産”では、関西という地域独特のニーズに対応できないために、神戸では在庫を持たない職人が手作りで個別に生産しました。神戸で育った独自の技術は外国人の目にとまる程素晴らしく、ヨーロッパでも評価され、明治後期の2代目永田良介氏は神戸家具の源流とも言えるこの家具をイギリスへ“逆輸出”していました。

また、永田良介商店をはじめ、神戸で独自の技術を身につけた優秀な家具職人たちが日本各地に出向し、その洋家具の技術を全国に伝えたと言われます。特に京都長野では神戸の職人によって洋家具産業が興ったと言われています。


実はまだまだ歴史が浅い、日本
での洋家具文化は発展途上。


50歳前後の皆様、子供の頃のテレビドラマやCMの映像を思い返してみて下さい。20歳前後の若い方は、お父さんやお母さんに聞いてみて下さい。

「子供の頃、テレビに洋家具は映っていましたか?」

洋家具が日本で急に普及し始めたのは、昭和34年頃、東京オリンピックが開催された以降です。その頃のテレビ番組は決まって、茶の間に卓袱台。家に洋間がある家も10軒に1軒程では無かったでしょうか。テレビでは昭和45年頃になって、一家団欒のシーンの中に洋家具が流れるようになります。しかし、当時の洋家具は海外の図面で製造されている事が多く、日本人の身の丈に合わない高さの椅子やテーブルが目立ちます。昔の洋風のソファーや椅子に座れば、足が浮いてしまう経験をお持ちの方も多いかと思います。

「今でこそ、大きな洋家具企業が日本で販売をしていますが、日本人の体や価値観に合った家具文化は何ら成熟していないと言えます。」

永田社長は、先祖代々神戸の地で、家具を使う人の事を考えた家具を作り続けてきたからこそ、現在の洋家具文化についてこの様に話されます。


140年間培ってきた伝統と技術、現代のお客様のニーズを組み合わせ最高のオーダーメイド神戸家具を作る。



「昔は、使いやすさよりも“どれだけ部屋を洋風にできるか”を日本人は求めました。しかし、今は洋家具が普及して時間が経ったことによって家具の“使い易さ”を意識する方々が増えてきました。」
こう話す永田社長は、移り変わる時代の中で、その人に合う“パーソナライズされたオーダーメイド家具”の製造を本格的に開始しました。

その新しい試みの中で、5代目永田社長は先代から受け継いできた言葉を忘れません。
「自分たち職人にとってはたくさんある家具でも、お客さんにとってはたった一つの家具」

そして、永田社長は今の時代だからこそ感じることができる想いを加えます。
「家具は“家の道具”家具を使う人が、どれだけ気持ち良く使って、どれだけ気持ち良く生活してもらえるか。それに尽きる。」

使う人が、そのスペースを使ってどんな事をしたいのか、何を求めているのか。138年間、神戸の地で深く培われてきた知恵を生かし、お客様が“本当に理想としている生活のイメージ”を引き出し、そこから絵を描き図面を描き、各工程の職人の方々と共に、長く大切に使うことができる最高の家具を完成させます。特に最近注目をあつめているのが、パーソナルチェアーです。




たかが椅子、されど椅子。
しかし、こだわるからこそ生まれる完全オーダーメイドの究極の椅子



当初、定年退職された方に向けて考案された、このオーダーメイドの椅子ですが、最初の購入者は“30代の女性”でした。その女性は“女の人の体にぴったり合う椅子”が無かったために、永田良介商店の噂を聞きつけお店を訪れたそうです。

永田良介商店ではオーダーメイドの椅子を作る際に、こちらの計測用椅子で、きちんと体に合ったサイズを割り出します。背もたれの高さや、アームとアームの感覚。どれも、椅子を使う人が最も心地よさを感じる事ができるように調節されます。


こちらでつくられる椅子は、隅木や補助金具を使用しない木と木の強固な組み合わせでつくられています。家具づくりの中でも特に技術と勘を要する椅子も、熟達した職人によって、しっかりと命が吹き込まれます。



永田良介商店にある椅子に腰をかける際にまず驚くことが、座り心地の良さです。その秘密は、日本でも数少ないコイルスプリングが使用されているからです。


コイルスプリングを使用すると、丁度良い適度な硬さで、身体に優しい椅子ができます。この張り方は日本の家具屋でも知らない事が多く、家具の事を本当に理解する家具職人たちがいる永田良介商店だからこそ実現する座り心地が生まれます。


                                   ※クリックすると拡大します

そして、クラシックなものからモダンなものまで、自分の好みのデザインを選びます。店内にもイメージし易い様に味わい深いデザインの椅子があります。驚くべきことに、肘掛の丸みや背もたれの微妙な角度、細かな飾り付けや脚部の抜きまで、使用者のことを考えられて設計されているため、それぞれが全く別物です。

                                 ※クリックすると拡大します

また、永田良介商店では一つの家具を大切に長く使ってもらうために、家具のメンテナンスを行っています。この洋家具店で作られた“神戸家具”は丁寧にWAXで仕上げられており、木が呼吸しています。そのため、環境によって僅かな狂いが生じる場合があります。永田良介商店では家具の塗り替えや張替えなど購入後のメンテナンスを行っているため、100年以上、永田良介商店でつくられた洋家具を使っている方もいます。


 

神戸の地で、時間をかけて、お客様に必要とされる神戸家具を作り続ける。


永田良介商店は一つの家具の製造に平均して“1か月半程度”の時間をかけて家具を作ります。それ程じっくりと時間をかけて、その人のイメージに合い、一番気持ち良く使ってもらえる家具を作っています。機械で大量生産された家具では一人一人のお客様の体に合わした家具作りは不可能です。
今後、他の様々な商品と同様に、家具商店が更に選別される時代が来ると言われています。そんな現状の中で、永田社長はこう話します。

「僕はものをつくっている感覚は無いんです。お客様と協力して快適な生活をつくることを手伝っているんです。家具の知識をしっかり持って、家具の事を本当に理解している家具屋は必要とされます。」
永田社長がこう断言する背景には、138年の歴史を持ち、お客様との長い付き合いの中で、お客様の体や生活様式に合った神戸家具を作り続けてきた自信がある事は間違いありません。

神戸旧居留地にある永田良介商店を訪れれば、心を暖かくする手作りのお洒落な神戸家具と、日本の家具文化を誰よりも知る永田耕一社長と出会うことができます。




【永田良介商店概要】
■店 名:永田良介商店
■創 業:明治5年(1872年)
■住 所:神戸市中央区三宮町三丁目1番4号
■電  話 :TEL 078-391-3737 
■E – Mail :info@r-nagata.co.jp
■URL   :http://www.r-nagata.co.jp/




Posted by KOCO2010 at 10:13Comments(0)洋家具発祥物語
唐突ですが、日本の市町村で1世帯あたりの紅茶の消費量が最も多い街はどこかご存知ですか?

実は神戸が紅茶の1世帯あたりの消費量が多いのです。余談ですがケーキなどのスイーツの1世帯あたりの消費量が多いのも神戸なんですよね。ケーキと相性の良い紅茶。西洋文化がいち早く浸透した神戸らしい事実ですよね。今回は、その紅茶に関係する“神戸ことはじまり”をご紹介いたします。

みなさんは紅茶を飲むときティーバッグの紅茶を飲まれる事が多いかと思います。今回ご紹介させていただきます神戸紅茶株式会社は日本で初めて紅茶のティーバッグを作るのに“コンスタンタマシン”と呼ばれる専用の機械を導入した会社です。それまではティーバッグはなんと、1つ1つ人の手によってミシンで製造していました。


今回は日本の紅茶ティーバッグに多大な功績を残した企業。神戸紅茶株式会社さんをご紹介させていただきます。代表取締役でいらっしゃいます、下司善久様にお話をお伺いしました。




「リプトン紅茶」の日本国内初生産工場は神戸だった!?


1925年(大正14年)神戸紅茶株式会社の前身である、食品卸売業「須藤信治(のぶじ)商店」が創業され、三井物産株式会社から神戸地区の有力特約店に指定されました。
創業者の須藤信治氏が農学校出身で紅茶に興味をもっていたこと、西洋文化を積極的に取り入れていた神戸で商売を始めたことから、創業当初から紅茶に関する事業が行われていました。

昭和32年、英国の大手紅茶メーカー「リプトン」の日本で初めての国内生産の工場に指定され、神戸に本社を設置したリプトンジャパンと共に紅茶の生産が開始されました。

その後、東京にもリプトン関東工場が完成し、西日本は関西工場、東日本は関東工場として、日本を代表する大規模な紅茶生産工場として、関西工場の名前が広く知れ渡るようになりました。

大手紅茶メーカーのリプトンのティーバッグが日本で飲まれるようになったのは、神戸が発祥だったのですね。


日本で最初のティーバッグ自動
包装機「コンスタンタマシン」の導入!!


リプトン工場でのティーバッグの生産量が拡大するにつれ、これまでの人海戦術のミシンを使った手作業では日々増えるティーバッグの需要に間に合いません。

そして、より多くの紅茶を製造するために、昭和36年に日本で初となるティーバッグ自動包装機「コンスタンタマシン」をドイツから導入しました。

リプトン工場での生産実績が業界で広まるにつれ、リプトンだけでなく、日本全国のメーカーからOEMで紅茶製造の依頼が舞い込むようになりました。

コンスタンタマシンの導入こそが、日本国内の現在のティーバッグ市場に大きな革新を起こした事は間違いありません。



OEM生産からメーカーへの成長


 リプトンは生産拠点を日本国内から海外へと移しましたが、日東紅茶をはじめ数多くのメーカーの紅茶をOEM生産していました。日本初のコンスタンタマシンの導入以来、紅茶製造の確固たる地位を築いていました。

そして、平成5年に神戸紅茶株式会社から自社ブランド「神戸紅茶」を発売し、メーカーとしての挑戦がはじまりました。

紅茶のティーバッグ第一号が誕生した製造ラインから新たに神戸紅茶ブランドの製造が始まり、この時から国内の紅茶メーカーとして、日本人のライフスタイルや、食の多様性に合わせた紅茶の普及に強く携わって行きます。


“神戸紅茶ブランド”を支える、日本トップクラスの紅茶鑑定士


紅茶の世界では「紅茶鑑定士」と呼ばれる方々がいます。紅茶鑑定士は、世界中から送られるたくさんの茶葉のサンプルを1つ1つ確かめ、渋み・香り・コク味など味を構成する要素や、その強弱を正確にブレンドし、私たちの手元にいつもと変わらない美味しい紅茶を届けます。また、季節、日常の特定のシーンに合うような紅茶、ストレートティーやミルクティーに合う紅茶を作ります。

そのため、紅茶鑑定士は10年以上の修行を積みやっと一人前と呼ばれる様になるため、
日本では、名前が知られている紅茶鑑定士は数名しかいないと言われています。神戸紅茶株式会社では、その本物の紅茶鑑定士のうち2名の方々がご活躍されています。

神戸紅茶では鍛錬を積んだ、本物の紅茶鑑定士がプライドと意地を持ち“神戸紅茶”を作り続けています。


「ひときわ香り高い紅茶を、神戸から。」徹底的なこだわりから生まれる“神戸紅茶”


神戸紅茶では、紅茶を飲まれた方に「本物の紅茶を、より多くの人に楽しんでもらいたい」と言う想いから、高級な茶葉しか仕入れていません。茶葉生産地である茶園によっても地域や生産者によって味が違うために、実際に海外の産地を訪れ視察を行います。そして、紅茶鑑定士が味を確かめ「神戸紅茶」が生まれます。

更に、そのこだわって作られた神戸紅茶を、品質や味と合致する適正な価格で販売しています。ただ単に紅茶を販売するのではなく、随所にこだわって紅茶を販売する理由には、先に言いました「本物の紅茶を、より多くの人に楽しんでもらいたい」という想い入れがあるからです。


神戸だからこそ生み出せる神戸紅茶の味。



「昔から紅茶が多くの人に飲まれている神戸で、紅茶をつくることは本当に幸せなことです。」
神戸での紅茶生産について、下司社長はこう話されました。

古くから紅茶が自然と人々の生活に浸透する様になった神戸は、紅茶の消費量は常に全国トップクラスです。その神戸で日本でいち早くコンスタンタマシンを導入し、実績と技術を積み重ねて来た“神戸紅茶”は、紅茶の良し悪しを理解される方が多い神戸で、原料茶から包装資材に至るまで、妥協無く徹底したこだわりを持って、おいしい紅茶を提供し続けます。
ストレートで香り高く、ミルクティーでコクが深く、厳選茶葉の特徴を充分に活かし紅茶鑑定士が日本の水に合わせてブレンドした“神戸紅茶”は、自信を持って“神戸ブランド”と言うことができる本物の味です。



【神戸紅茶株式会社会社概要】
■社 名:神戸紅茶株式会社
■創 業:大正14年11月(1925年11月)
■設 立:昭和30年10月27日(1955年10月27日)
■住 所:神戸市東灘区住吉浜町16番地2
■電  話 :TEL 078-851-7281 
■E – Mail :info@kobetea.co.jp
■URL   :http://www.kobetea.co.jp/
■代表取締役:下司 善久


編集後記



取材の間に下司社長から頂いた“アイスティー”を口に入れた瞬間、その口当たりとまろやかな紅茶の味に思わず「おいしぃ。」とつぶやいてしまいました。

喫茶店でコーヒーを頼んで一服する私は、紅茶の味というものをあまり理解しておりませんでしたが、コーヒーとはまったく別の紅茶の美味しさに出会いました。

また下司社長から紅茶通の方の“紅茶の味わい方”についてご説明頂きました。皆様にご紹介させて頂くと、紅茶通の方は“渋み”を重視して飲まれることが多く、最初は慣れない渋みでも、それが紅茶の“旨み”や“コク”に変わって行くそうです。

ちなみに、11月1日は「紅茶の日」ですので、紅茶の歴史を感じながらゆっくりと、普段より少し華やかな時間を、こだわりがたくさんつまった地元の「神戸紅茶」を飲みながら、ご家族・ご友人と過ごしてみてはいかがですか?

「紅茶の日」の歴史が詳しく紹介されているサイトへはコチラからどうぞ。



 


Posted by KOCO2010 at 13:30Comments(3)紅茶ティーバッグ発祥物語
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