神戸ことはじまり


今回はチーズにまつわる神戸発祥の企業様を、甲南大学の樋口さんにレポートして頂きました。それでは早速樋口さんに御紹介していただきましょう。

こんにちは。甲南大学の樋口です。
今回は神戸ことはじまりで、神戸発祥のものを開発した企業様への訪問取材をさせて頂いています。今回個包装のスライスチーズを日本で初めて開発したQBBブランドで知られる六甲バター株式会社さんにお伺いしました。

六甲バター株式会社

竹中様 今ではスーパーに行けば一般的な乳製品として様々な種類が並ぶ"チーズ"。
実は、"スティックチーズ"を世界で初めて発売し、"個包装のスライスチーズ"を日本で初めて発売し、今尚業界をリードする新商品を開発し続け、業界大手のシェアを誇る企業が神戸にあります。 
それが六甲山麓に本社を構える"QBBブランド"で有名な『六甲バター株式会社』です。
 終戦直後の何も無い神戸で誕生し、プロセスチーズを日本の食生活の中で身近なものにし、企業の歴史がプロセスチーズの歴史そのものと言っても過言ではない、六甲バター株式会社をご紹介させて頂きます。今回は六甲バター株式会社の広報御担当をされておられます竹中様にお話をお伺いいたしました。



六甲バター株式会社。
しかし、バターをつくったことがない!?


Q・B・B 六甲バターは昭和23年、創業者で塚本信男前社長が三度の戦場への出征で凄惨な現場を経験したことから平和への重みを感じ、前身である"平和油脂工業株式会社"を神戸市に設立しました。

 戦時中、「戦争と平和」の対比は「大砲とバター」と表現されていました。この意味は、「大砲」=「軍事用品」、「バター」=「生活必需品」として、軍備を中心とするか、民衆の生活を中心とするかという議論が行われる際に使用された言葉で、海外では今でも使われている言葉です。

この様な平和への願いを込めて設立された六甲バターが最初に手がけた商品が、当時「人造バター」と呼ばれていた「マーガリン」です。商品名は『六甲バター マーガリン』。そして、六甲バターはマーガリンを学校給食に提供をするなどして着実に成功を収めて行きます。私も小学校の給食にQBBのマーガリンが出てきたのを覚えています。

マーガリンでの成功の勢いの中、次に社内に挙がった意見が「人造バターの次は、本物のチーズに代わる人造チーズをつくること」。しかし、現実は甘くありません。開発者がいくら努力しても満足できる人造チーズは完成しません。果敢に挑戦し続けるが市販に至らず、悶々した日々に頓挫した時、ある商談がタイミング良く舞い込みます。

それが、六甲バターが急成長を遂げる大きなきっかけとなった「オーストラリアの原料ナチュラルチーズの取引」です。この機会を逃さず、マーガリンからチーズの製造へ大きく舵を切った決断が、その後、人々の食生活を変える程の商品を生み出します。
この時代の変遷の中、人造バターであるマーガリンの製造以降、六甲バターの社名にちなんだ「バター」の製造が行われないまま企業は前進し続け、今では売上高の約95%をチーズ製品が占めています。


「進取の精神」が生み出した、世界初の商品。

 六甲バターがQBBブランドとして生み出した商品は数え切れないほど多く、開発主導型のメーカーとして、神戸の地で果敢に新商品の開発を続けてきました。勝負するのは大手乳業企業です。竹中さんは
「私たちはチーズしかない。チーズを作り続ける。体力勝負では勝てないからこそ私たちには"進取の精神"が必要なのです。」
とお話しされました。
 1960年、その"進取の精神"が世の中に画期的な商品を送り出します。世界初『スティックチーズ』の発売です。
「もっと多くの人にチーズを提供できないか。」
と疑問を抱えていた開発者たちが魚肉ソーセージの手軽さヒントに閃いたこの商品は、瞬く間に世の中を席巻します。
従来の箱型のチーズをナイフで切って食べるスタイルは想像するだけで手間がかかります。この、カットテープを引っ張ってフィルムを剥がすだけの超手軽なこのスティックチーズは爆発的な勢いで日本に広まり、大人気商品としての地位を獲得しました。それを裏付ける事実として、工場を稼動し続けても供給が追いつかず、残業が続く当時の新入社員の給料がそのお父さんの給料を超えてしまったと伝わっています(驚)。
 この様にして、一家に箱型が一つと言われた家庭でのチーズの存在は、一人一個のチーズに変わって行きました。


業界をリードする日本初の商品

 ロングセラー商品として現在も日本全国の子供から大人まで幅広い消費者から支持されるスティックチーズの誕生から11年後の冬、人々のチーズへの意識を再び変える新商品が誕生します。それが日本初の『個包装のスライスチーズ』の発売です。
開発者たちが、アメリカで生産されていたスライスチーズの工場を視察に訪れた時、その"製造工程"に驚きます。"棒状のスティックチーズを板状に広げカットして作る"の製造工程を見た開発者たちは日本に戻ると、日本の気候に合う機械を独自に開発しフィルム・大きさ・分厚さなどを自社で一から試行錯誤し研究し、日本初の個包装スライスチーズを家庭の食卓に届けました。
こうして誕生した日本初の個包装のスライスチーズは人々の食文化に影響を及ぼしました。


六甲バターの「神戸」へのこだわり。

 創業60年以上に及ぶ歴史の中で、六甲バター株式会社は昨年度に最高利益を打ち出しました。その社名に含まれる「六甲」のキーワードは同時に「神戸」を示します。神戸は創業者・塚本信男氏が平和への強いこだわりを感じて設立した土地である事、港街神戸として日本を代表する"ナチュラルチーズが陸揚げされる場所"であることが、地元への愛着を感じさせています。

 スティックチーズ、スライスチーズ、ベビーチーズ、キャンディーチーズ・・・六甲バターはこれだけのロングセラーのプロセスチーズ商品を生み出しました。その"進取の精神"が染み付いた企業の挑戦は次なる高みを目指しています。

世界一のプロセスチーズメーカーを目指して。

竹中さんは六甲バター株式会社の企業目標を
「世界一のプロセスチーズの技術を持つ会社を目指します。」
とお話しされました。
 近年では、社内の女性社員の方々が開発に大きく携わった6Pタイプの「チーズデザート」が、ブログやSNSで口コミブームを巻き起こすなど、今でも商品の一つ一つに独自の戦略を垣間見ることができます。HPではチーズコンテストや、ユーザー広場などを設け、私たち消費者がもっとチーズに親しみを持てるコンテンツ、もっとチーズを深く学び楽しめるためのコンテンツがあります。
食育にも力を入れ、2010年春には神戸市立六甲山牧場に「六甲山Q・B・Bチーズ館」をオープンさせ、子供連れのご家族から、若いカップルまでチーズを肌で体感する新しい観光施設をつくりました。
国内市場では人々のニーズに対応する斬新な商品開発に加え、健康食品としてのプロセスチーズの新たな可能性があります。グローバル化が進む海外市場では、既に事業を展開すると共に、成長国に"プロセスチーズメーカー"として独自の技術とノウハウが詰まった商品を持ち込むべく虎視眈々とその機会を狙っています。


編集後記

QBBとして知られる六甲バターの商品は私も含めて兵庫県内の方であればほぼ学校給食で口にしたことがあるはずです。私たちが当たり前に食べていたスティックチーズが世界初で、スライスチーズが日本初と知って非常に驚きました。そしてそれら商品の開発背景には創業当初の精神と開発者の血と汗の結晶だと改めて認識できました。神戸発の企業でも本社を東京などに移転する企業が多い中、発祥の地神戸を大事する六甲バターさんをさらに身近に感じることができました。今回は甲南大学の樋口尚子さんのレポートで御報告させていただきました。樋口さん取材お疲れ様です。
そして何よりも御多忙なところ長時間にわたりお話ししていただきました六甲バター株式会社の広報御担当の竹中様ありがとうございました。
このブログ原稿を読んでいただいて改めてQBBチーズを食べて頂きたいと思います。

【六甲バター株式会社概要】
■社  名:六甲バター株式会社
■設  立:昭和23年12月13日
■住  所:〒651-0062 神戸市中央区坂口通一丁目3番13号
■電  話:078-231-4681(代表)
■F A X:078-231-4678
■U R L:http://www.qbb.co.jp/index.html
■代表取締役:塚本哲夫



六甲株式会社のホームページにはさらに詳細な面白いコンテンツが掲載されております。是非チェックしてみて下さい。


Posted by KOCO2010 at 11:36Comments(1)プロセスチーズ発祥物語
こんにちわ!甲南大学の山本純之です。今回は日本で初めて本格的なフランスパンを製造・販売したパンの専門店株式会社ドンクさんについて記事を書かせていただきます!

神戸の老舗のパン屋さんドンクに行ってきました

外観写真ドンクは神戸市内にいくつもの店舗を抱え、また全国展開もしていることで有名な神戸から生まれたパンの専門店として神戸っ子御用達のお店です。
今回はドンクの店舗・商品をこよなく愛し、永きに渡りドンクを支えていらっしゃる社員さんからドンクでの仕事に対する熱い想いを取材させて頂きました。
今回の取材場所は神戸っ子なら御存知ドンク三宮本店。とってもおしゃれな店構え。しかし、パン屋さんの本領は外見でなく中身。さっそく店内へ・・・。

「ふわっ~」といい香りが漂ってきます。さすがパン屋さん。ついさっき昼食をしたばかりなのにもうお腹が減ってきました・・・(笑)。


ドンクが愛され続ける理由

 今年で創業105周年を向かえた「ドンク」。1世紀以上に及ぶ長い歴史を築けるほどお客様の支持を得るのには理由があるのでしょうか?詳しく伺いました。今回僕達の取材に応じて頂いたのはドンクの神戸エリアを管理されていらっしゃいますエリアマネージャーの伊藤様(写真左)です。また営業中店舗に快く迎えていただいたのは三宮本店の北風店長(写真右)です。
 「手作りにこだわっている」
。伊藤さんから一番最初に出てきた言葉でした。やはり一流のパン職人が作るパンというのは機械では真似ができない味とのことです。確かに「ドンク」には西川正見さんという「パン職人のワールドカップで世界3位」の実力を持つ方がいらっしゃいます。また他の店舗の職人さんも一流の方たちばかりです。手作りでしかできない繊細な味こそがドンクのパンのおいしさです。

もうひとつのこだわりは「品質を安定させる」とのことです。このこだわりを達成するためにドンクはかなりの努力をしているのだとか。神戸地区のドンクでは定期的に世界3位の西川さん自らがかなり厳しいチェックをしており、また、その品質チェックの厳しさは店に出すのには十分なレベルだとしても合格しないこともあるらしい。「どうしてそこまでする必要があるのですか?」と尋ねると、伊藤さんこう答えられました。

「常にお客様に出せるレベルよりも高い水準のパンを作ることで「やっぱりドンクのパンはおいしいよね」と品質の安定感を出していきたい」

とのこと。こうした見えない努力によってドンクのパンは作られています。しかし、ただ単に商品の厳しいチェックをするだけでは職人たちにとってはストレスになってしまいます。そこで伊藤さんはある工夫をされていました。それは定期的に職人同士を競わせることです。

 「神戸地区のドンクでは、定期的にクロワッサン・食パンなど毎回テーマを決めて各店から商品を持ち寄るんです。そしてただ単に品質をチェックするだけではなく、点数をつけて順位付けし、優勝店舗には賞状とトロフィーを贈っています。賞金は出ないのですが、職人たちはプライドをかけて積極的にやる気を出してきます。」
なるほど!確かにこれは面白い!職人たちのやる気を促進し、作る楽しみも増え、腕前の向上にもつながります。そしてそれがパンの味の向上につながり、ドンクのブランド力も上がっていきます。その結果、お客様によりおいしいパンを届けることができるようになる。そしてお客様の喜びは、職人たちにとってのやる気になる。とても素晴らしいサイクルだと思いました。

 ちなみに、ドンクの三宮本店ではクロワッサン部門で他の店舗を抑えて第一位となりました。店内の目立たない場所にこっそりと優勝カップと表彰状が飾られています(笑)。
 さらに驚きなのは毎回この優勝カップは優勝した店舗に移動するとのことです。次回はどの店舗が優勝するのか楽しみです。

 ドンクは店舗での接客にも気を掛けています。例えば、親子が買いに来られた時などはビニール袋で商品をお渡ししますが、スーツを着たビジネスマンが来られた時には、紙袋で商品をお渡しすることがあるとのこと。スーツにビニール袋は合わないという気遣いだそうです。また、普段の親子連れなどには紙袋は持ちづらいという点からビニール袋を使っています。これはお客様に気を掛けている一部の例であるが、接客の基本を伊藤さんは次のように仰っていました。


 「掛けるはあるべきだが、欠けるはあってはならない」


同じ「かける」でも意味はまったく違います。お客様には気を掛けるべきだが、お声掛けが欠ける、商品の欠陥や棚から商品が欠けることはあってはならないということだそうです。非常に分りやすい表現だと僕も思いました。


商品開発はどうしているのか?


ドンクのパンはかなりの頻度で新商品が出ています。やはり商品開発部みたいなものがあるのだろうか?と思って質問してみました。

「商品開発部はありません。商品開発はそれぞれの職人が行っています。また私自身もアイデアを出していきます」

とのことです。それぞれが開発したパンは東京にいるブランドマネージャーにGOサインをもらえれば晴れて棚に並ぶ。しかし、なかなか簡単には通るものではないとのことです。失敗作もたくさんあるらしいです。「ドンク」というブランドに合わないものなどは出さないらしいです。そして、流行は追わず、ブランドの品格維持にこだわっているとのことです。

またパン屋さんというのは横つながりも強いとのことです。伊藤さんも他店から製法を教えてもらったり、教えることもあり、友達から聞くこともあるのだとか。そしてパン屋さんというのは他店に勝手にパンを真似されたとしても、むしろ真似されることはそのパンを評価されているとプラスに考えており、大変喜ばしいことだと話してくれました。


ミニクロワッサン誕生秘話


 ドンクには数多くのパンがありますが、なかでも一大ブームになり話題になったのが御存知「ミニクロワッサン」。その誕生の経緯について話して頂きました。

「ミニクロワッサンの発祥地は札幌の店舗でした。実はこの商品はもったいない精神が生みだしたんです。パンを作っているとどうしても生地の切れ端が残ります。それを美味しく生まれ変わらせたのがミニクロワッサンです。大きさがバラバラなので量り売りにしました。人気商品となった今ではミニクロのために生地を仕込んでいます。」


なんとドンクの名物ミニクロワッサンは最初はリサイクル商品だったとのこと。また、パンの量り売りも当時はなかったので凄く好評になったのだとか。その後、全国的なブームとなり、そのブームが落ち着いた後もドンクは本家本元としてミニクロワッサンを出し続けており、しかも人気は今も健在であるということです。また現在は「ミニワン」としてミニクロワッサンを中心とした小型の商品のブランドを確立しています。


やっぱりおいしいよね♪普通に美味しいよね♪


取材もいよいよ終盤へ。

「ドンクはどのようなパン屋を目指していますか?」

「ドンクは何か特別な時に食べるパンではなく、日常的に食べるパンを目指しています」

とても印象に残った言葉でした。明日も明後日も食べたい。通学・通勤の帰り、買い物などのついでに寄って買ってほしい。そして普通に食べて、普通においしいパンでありたい。いつ食べても「やっぱりおいしいよね」と言われることがドンクのパンのキーワードでありたいと話して頂きました。だからこれからもそのようなことを考えてパンを作っていきたいとのことです。

今回の取材では、長年においても変わらないドンクのパンに対する思いをお話して頂きました。また品質の安定の面においては職人たちがパン作りをより楽しめるような工夫なども聞くことができました。これからもDONQは「やっぱりおいしいよね」をキーワードとして私たちにおいしいパンを届けてくれると思います。

伊藤さん本日はお忙しいところ、長時間にわたりお話し頂きまして、誠にありがとうございました。


編集後記


今回取材した三宮本店でしか売ってないパンを少しご紹介したいと思います。どれも人気ランキングの上位5位以内に入るパンです。
三宮本店でしか買えない限定パン
まずは「但馬牛のカレーパン」
実はこのカレーパン、一見揚げてあるように見えるが揚げてない。どうみても揚げてあるだろ!と突っ込みたくなるほど。実は揚げるのではなく焼いて作っているのだとか。ちなみに製法は非公開。そして食べてみた。

「サクッ」
本当にびっくりした食感であった。今まで食べたカレーパンとはサクサク度が全然違うではないか!まさに革命的な食感である。「サクサク」という食感をもっとも上手く表現しているカレーパンであろう。しかもあまり油っこくない。食べやすい。カレールーもいい感じのピリ辛さ。旨い。かなりのおすすめだ。

次は「淡路産たまねぎパン」
たまねぎパン・・・? 実は、僕はあまりたまねぎが好きではない。まったく想像できない。しかし、せっかく取材のお土産にもらったので食べてみることに。・・・旨いではないか!なぜこんなにおいしいのか。このパンはじっくり加熱することで甘みを引き出しているたまねぎが旨い。そして微妙な塩味もあり、淡白で新しい味である。パンの中にたまねぎを入れるとこんなにおいしいとは思わなかったので驚いた・・・!

最後は「手だきのクリームパン」
パンの定番であるクリームパン。見た目はもちろんおいしそうであるが、何か他のクリームパンとの違いはあるのか?食べてみた
「クリームが多い!!!」

中のクリームがとにかく多い。僕が今まで食べてきたクリームパンはなんだったのか・・・。テンションが上がる。写真にはないが中身の断面を見ると、クリームの多さがわかりやすい。クリームが多いとその分パン生地の比重が減る。そうすることでクリームの甘さをより楽しむことができるようになっています。とてもぜいたくなパンです。また、クリームも程よい甘さであり、やめられない味を出しています。


今回の記事で「DONQ」に興味を持たれた方、また「DONQ」をより知ることができた方是非「DONQ」のこだわりのパンを食べて欲しいです。




Posted by KOCO2010 at 15:30Comments(1)ミニクロ発祥物語
松阪牛・近江牛と並んで、「日本三大和牛」と言われる神戸牛

開国した頃の日本で、一番牛肉を消費していたのは神戸だったともいわれています。そんな神戸ビーフの地、神戸に牛肉専門店の発祥とも言われる老舗企業「大井肉店」があります。

廃藩置県によって兵庫県が誕生し、神戸外国人居留地が126区画に整備された明治4年。そんな騒然とした時代に、港街神戸で当然の様に誕生した牛肉の商売。

今も世界的なブランドとして知られる“神戸肉”の基礎を築いたとされる初代岸田伊之助氏が創業し、初代兵庫県知事の伊藤博文や福沢諭吉をはじめ、歴史上の著名な人物もその肉の素材に舌太鼓を打ちました。本日は、株式会社大井肉店の代表取締役社長でいらっしゃます、田伊司様にお話をお伺いしました。





明治4年創業以来、伝統と誇りを引き継ぐ4代目社長


身に纏われている岸田伊司社長の荘厳な雰囲気に社長室で緊張する取材スタッフに、そっと併設するレストランで自家焙煎された美味しい珈琲を差し出して下さる岸田社長。

4代目経営者として先祖代々続く伝統と誇りを引き継ぎ、人々に神戸肉の味を伝える使命を背負われた岸田伊司社長の口から訥々と語られる話に、心を惹かれました。

神戸牛に誰よりも深く関わり、誰よりも素材の味を知る岸田社長に神戸牛のことはじまりについて、詳しくお話を伺いました。
  

Kobe Beefのルーツは江戸時代!?


神戸肉は高級食材として知られ、各国にある三ツ星レストランのシェフが「Kobe Beef」を買い付ける程、世界的にも認められた究極の食材です。その神戸肉として知られているのが、実は但馬牛になります。昔から牛車として使われていた但馬牛ですが、江戸時代になって大阪・天王寺で開かれた牛市で、“藩の威厳を保つため”に毛並みが美しく、良く肥えた牛をつくる事がきっかけで、独自の飼育技術が発達しました。


口コミで全国を席巻する神戸肉


神戸肉は開港当時から、牛肉を食べていた外国人や船乗りに大きな人気を博していました。“すき焼き”などの牛肉文化が普及し始めた頃には、その人気は既に口コミで広まっていて、船乗りを引退した日本中のシェフたちを中心に神戸肉の買い付けが行われました。つまり、「神戸肉・Kobe Beef」は開港と共に全世界に広まっていた「日本ブランド」だったのです。

その世界的なブランド「Kobe Beef」の基礎を作り上げた人物の一人が、宇治川(現在の神戸駅と元町駅の中間)の山奥に広がる農地で牛を扱っていた、大井肉店の創業者である岸田伊之助氏だったのです。


宮内庁御用達にも選定された、大井肉店が守り続ける素材の味


明治時代から守り続けた最高級の肉の味は、先代から続く“自分が納得できる良い物をお客さんに出したい”と言うこだわりがあるからこそ実現しました。

昭和29年、大井肉店はその肉の味が認められ宮内庁御用達に選定されました。その当時は、一つの商品を仕入れる度に、全ての道具を新品にしていたと言います。

一つの歴史的事実として、明治時代から残っている牛肉店で、今も尚、肉の加工ではなく“素材”を提供し続けている店は他にありません。

「お客様に素材の味を認めてもらって、その素材の素晴らしさとこだわりに“共感”を持ってもらったからこそ、大井の肉は残り続けてきた。」岸田伊司社長はこう語ります。




「神戸市民に神戸肉を食べてもらいたい。」その想いを形にする大井肉店の取り組み。

明治時代から神戸の地で商売をして来た大井肉店では、神戸の人に神戸肉の味を知ってもらうために、4代目岸田伊司社長はお客様が気軽に利用する事ができる“イートインコーナー”を設置しました。

「自分たちが“目利き”したこだわったものをお客様に出して喜んでもらうためには、こうするしかなかった」当時の想いを岸田社長はこう言います。




神戸肉が食べれるとも歌わなかった隠れた商売。しかし、美味しいお肉が食べれるお店の噂は口コミで自然と人気が広まり、現在は大井肉店本店の上階や、神戸そごうの地下にあるレストランでその味を楽しむ事ができます。
 





また“裾物”と呼ばれるバラ肉等を安価で提供し、“1000円で買える美味しい神戸牛”を売り始めました。冷蔵庫も無い時代、昔は井戸に牛を吊っていたと言います。六甲山で氷をつくり、それを切り出し、アイスロードと呼ばれる道を通って、お店まで持ってきていました。

神戸の人は肉と言ったら真っ先に“牛肉”を思い浮かべる方が多いと思います。神戸の人は、肉まんと言えば多くの人が、中に“牛肉”が入っていると感じます。だから、わざわざ“豚まん”と呼び区別をする様になったと言われています。

そんな神戸で140年近く牛肉を売り、神戸肉の素材を守り続け、多くの人と苦労を乗り越えて来たからこそ、「神戸の人に神戸肉を食べてもらいたい。」と言う先代から続く想い入れは深く根付いています。

長い歴史の中で培った“目利き”で、お客様に最高の素材を提供し続ける


「『私はあそこでお肉を買っているんですよ。』と、お客様が人に伝える事、人に自慢できる様な店になりたい。」明治から平成を渡り歩く中で、大井肉店の在り方を岸田社長はこの様に話します。

家庭の料理で味が変わってしまう“素材”を扱う商売を行う中で、「大井肉店のお肉やったら、美味しいです。やわらかいです。旨いです。」と、ついついお客様が声を漏らしてしまう最高級の肉を支えるのは、歴史の中で出会った大井肉店専属の肥育農家や牧場と、熟練した目利きの技術を持った職人たちです。
  



明治4年創業の看板と、先代から続く牛肉への自信と誇りを背負い、「あそこで肉を買ったら間違いない!」この声と共に、大井肉店は神戸で唯一の開港から続く老舗企業として、次の時代に向かって歩み続けます。



【株式会社大井肉店概要】
■社 名  :株式会社大井肉店
■創 業  :明治4年(1873年)
■住 所  :兵庫県神戸市中央区元通7丁目2番5号
■電   話  :078-351-1011
■F  A  X  :078-351-5494
■U  R  L  :http://www.oi-nikuten.co.jp/index.html
■代表取締役社長:岸田 伊司
//img01.ko-co.jp/usr/kobehassyou/


          


Posted by KOCO2010 at 18:55Comments(0)牛肉発祥物語
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